酒・食事処ナカジマ



ナカジマ初代

創業者は新潟の山奥の生まれで、農家の五男坊で中島五作と申します。昔は封建的で何といっても長男が後取り、それに不満を持っていた五作は東京に出て一旗上げようと実家を逃げるように上京、農家の生まれで年齢的にも食べ盛り、余りにも大食いだったので奉公先を何軒も変えざるを得なかったそうです。

最後に行き着いたのが「浅草今半」それは可愛がってもらったそうです。腹が減ってはいい仕事ができないと、ご主人の方針で「作さん」ご飯食べなと言われここで頑張りました。お店のご主人のすすめで今のナカジマを出しました。それが大正10年頃のようです。それは苦労したそうです。

商売は順調に行ったそうですが関東大震災で家を失い、第二次世界大戦の下町大空襲で家を失い大変な思いをしたそうです。それでも持ち前の根性で店を盛り返し、二代目「善一」に任せました。

戦後のナカジマ

戦後まもなくのナカジマです。
ナカジマ二代目
二代目善一は海軍に志願兵として入隊、それは想像を絶するきつい訓練だったそうです。でも残念なことに一回も戦わずして終戦を迎えました。

その後中国料理の職人になり縁あってナカジマの長女佐登子結婚してナカジマ二代目を継ぎました。二女をもうけてその長女が後の三代目の奥さんになります。
昭和29年頃のナカジマ

昭和29年頃ナカジマです。
ナカジマ只今三代目
三代目芳夫は竜泉で生まれ中華屋のせがれでした。縁あって長女典子と一緒になりナカジマを継ぎました。
初めは生もの等経験がなかったのでちょっとてこずりました。近所の魚屋のオヤジに教わったり自分で河岸に行ったりして、何とか今に至っています。

二男一女を授かりました。誰が四代目を継ぐのかな?

今後とも初心を忘れずに頑張っていきますのでよろしく御ひいきの程お願いいたします。


現在のナカジマです。




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